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月別: 2018年7月

買取専門店に出してから分かった切手の価値

私は、切手を美しいと思います。
何が美しいかといいますと、その独特の絵柄と、そしてその絵柄が、小さな四角にぎゅっと閉じ込められているところが、とても美しいと思うのです。
さらに切手は、「ただの『絵』ではない部分に、本来の使用用途を持っている」という、どこか、自分自身の役割を全うすることとと引き換えに得ている、多に代えがたい儚さを内在していると私は思います。
たとえるならそれは、「大手のチェーンレストラン店で、モデルかと見まがうような美人に出会ったとき」のような感覚です。

「美しいモデル」というのは、どこか、自身の価値をそのままストレートに表現している存在です。
ですが、その「美しさ」を差し置いて、自分自身に別の価値を求め、それを全うしようとしている姿、というものには、言葉では表現しがたい、愛おしさを感じます。
また、それだけではなく、少しばかりの「切なさ」も感じます。
そして、その「愛おしさ」と「切なさ」を、私は、「切手」にも感じるのです。

「切手」は、本来は、手紙や封筒などの郵便物に対する運送のコストを支払うための、いうなれば「お金の代理」です。
しかし、現実の切手は、そこにさらに、「絵」という価値を付加しています。
そしてこの「価値」には、「お金で図ることのない尺度」を内包しているのです。
なぜ、「お金で図ることのない尺度」を内包しているといえるかというと、これは当然、「切手の料金に、デザインごとの差がないから」です。
どういうことかといいますと、50円切手(最近は52円切手ですが)は、その絵柄に関わらず、同じ料金で売られている、ということです。
すなわち、切手に対し、プロパー(定価)で購入するときに、買い手は、デザインにお金を払っていないのです。

それなのに、世の中には「記念切手」というものが存在し、そしてそれらには「プレミア価格」が付くことになります。
私も、一度切手買取専門店で高価買取していただいたことがあります。

この瞬間こそ、「切手」というものが「お金の代理」という枠組みを離れ、新たな価値を獲得している瞬間なのです。